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2013年10月16日 (水)

年金の歴史①

2013101621400000_3こんばんは

昨日のことになりますが、友人からお米を貰いました。
ヒノヒカリの新米、10kgです
因みに、友人の親戚が作られたものです。
実は私、大のご飯好き
元々は、少ないおかずで沢山のご飯を食べるタイプでした
(太るので、最近はかなり減らしていますが
新米、旨いだろうな~
やっぱり梅干しとか、卵かけごはんとか、
いいお米の時はシンプルなおかずがいいですよね

食欲の秋です
Yちゃん、ありがと~

さて、今回のタイトルは『年金の歴史』です。

日本で初めての年金制度は、明治8年(1875年)に発足した、
陸・海軍の軍人さん達を対象とした恩給制度です。

※因みに、制度が出来たのは陸軍がちょっと先です(陸軍4月~、海軍8月~)。
 薩摩の陸軍、長州の海軍と言われていましたが、薩摩軍閥の方が強かったということでしょうか?

それから、明治17年(1884年)に官吏(国家公務員)を対象とした恩給制度も出来ました。
要するにこの頃は、軍人さんや国家公務員しか年金は貰えなかった訳ですね

では、民間人を対象とした年金制度はいつからなのかというと、
昭和14年に制定(翌年施行)された、船員保険法が最初です。
日中戦争が昭和12年ですから、その2年後ということですね。

当初日本は、この戦争は早期に終わるものと予想していました。
しかし相手は大国、そう簡単に降参する訳がありません。
次第に戦争は泥沼化し、大陸内部に戦場が広がって行きました。


ところで、大陸での戦争ということで、
その軍事物資については当然日本から運ぶことになりますよね?

じゃあ、それをどうやって運ぶかというと、これは当然船です。
敵だってそんなことは分かっていますので、当然、輸送船を狙います。
(補給路を断つというのは、古今東西、戦争の常套手段です)


そうなってくると、船員のなり手自体が減ってくることが考えられます。
日本は島国ですからね、優秀な船員さんは数多く必要です。
そんな状況下で船員保険は制定されたんですね。
(要するに、年金出すから船に乗ってということです)

因みに養老年金、廃疾年金、死亡手当金がありました。
今で言うところの、老齢年金、障害年金、死亡一時金(遺族年金に相当するものは無かった)ですね。

ところで、養老年金は15年がその加入要件とされていました。
太平洋戦争も末期になると、制海権も制空権もアメリカに握られていましたので、
輸送船団は次々に海に沈められました。

その頃の船員たちは、15年勤めれば年金が貰えるという空約束のもとで働かされ、
お亡くなりになった方が多かった訳です。
そして、その遺族に対する死亡手当金は、葬式代金程度だったみたいです。
さらに、船員として勤めていた期間が3年未満の者には死亡手当金すら出なかったようです。
そして、養老年金の積み立て分については、戦費に費やされることになりました。

戦争と年金というと、全く関連性がないようですが、実は結構関係しているんですね。

もう少し書きたいことがありますので、続きはまた次回




障害年金の請求代行@熊本
たびら社会保険労務士事務所
電話:096-221-1318
http://www.tabira-sr.com



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コメント

四半世紀以上前の若かりし頃、私は軍人恩給の仕事をしていました。
今回は、少し長くなりますが、そのころの、お話を。
なお、わかりやすくするため、憶測も含めて、少々強引に書きます。

昔は徴兵制があり、多くの方が軍人となります。
一定期間(最低12年。激戦地等に行けば戦地加算がありますが、それでも実期間最低3年)で恩給が支給されるわけですが、政府も国民の多くに恩給を支給すると大変だからでしょうか、恩給資格の生じる少し前に除隊させています。
ところが、戦争末期にはそんなことも言ってられないのでしょうか、その方々を再招集。
それで、その方々には、恩給資格が生じるわけですが、戦後混乱のためか資料が散乱・紛失。
加えて、敗戦後一定期間は軍人恩給なんてなくなっています。
その失われた履歴を、調査し、証明し、国に進達する・・・という仕事をしていました。

法的効力は申請書を受理した時点で発生します。
資料不足のため調査不能で却下し、その後に事実が判明し、再申請した場合は、再申請した時点での受付日となり、本人にとっては不利となります。
昔の先輩方は、戦争体験もあったためか、白黒はっきり付けられたようでしたが、
当時20歳代の未熟な私には、心情面からも白黒付けられないことも多くありました。
それで、思い切って、「未決ファイル」なんてのを作って、新事実が判明したら連絡してくださいね、受付日は今回の受付日にしますからという処理をしました。

はい、田平先生。何を言わんとしているかおわかりでしょう?
年金機構さんも、こんな血の通った処理ができませんかね。
行政でも四半世紀以上も前に、強引に、こんなことをやった例があるわけですから。

追伸
年金の歴史をすることをもっと早く知っていたら、もっとおもしろい話もしたのになあ。

田舎のCWさん、コメントありがとうございますm(__)m
恩給制度は正直あまり分かりませんので、大変貴重な情報だと感謝しています。
請求年金ということに加えて、資料の紛失等があり、受給要件自体を確認するのが困難だったということですね…。
それは請求者にとって余りにも不利ですね。
戦争の名の元に駆り出され、恩給という空約束を信じさせられた、ちょっと考えさせられますね…。

田舎のCWさんがやった「未決ファイル」、それで救われた方もいたことと思います。
運良く資料が見つかった場合には最初の受付の日まで遡ってくれる、受給権者にとってはとても有難かったでしょうね。

障害年金の世界でも、特別障害給付金については書類が揃っていなくても受付けて、その後申請が出来た場合でも、最初の受付けまでは遡ってくれるというルールがあります。
温情的なのはそのくらいですかね?(しかし、そのルールを知らない役所の方もいると思いますが…)
老齢年金はともかく、遺族年金、障害年金はまだまだその存在を知らない方が沢山います。
そしてその存在に気付いたとしても、そこから書類を揃えるのは困難が伴い、非常に時間がかかる場合も多いです。(時間が経っていると、資料を見つけるのも大変ですからね)
何とかそのあたり、温情的な取扱いがなされないかなと思いますね。
せめて事後重症請求の場合だけでも、特別障害給付金のような取扱いになってくれれば、そう思うことが度々あります(-_-;)

少々強引に書きすぎたかな?
軍人恩給は、請求年金というわけではなくて、戦後GHQの意向で廃止されたものが、平和条約締結後、段階的に復活。
復活ごとに請求期限があったのですが、請求期限を過ぎてしまっていても、事情(事情は、正式にはなんか難しい表現だったけど、ようは「法律を知らなかった」でOK(笑))があれば受理できて、7年(5年じゃありませんよ~(笑))遡及します。
私が従事していた頃は、すべての請求期限が過ぎていたので、再受付になると、その分、不利益を被る・・・・・だったような気がします。
何分、四半世紀以上前なので、記憶違いがあったらごめんなさい。
よかったら、このあたり、この次お会いしたときにでもお話しします。

ちなみに、この5年の従事期間や、ケースワーカーとして、数件、ケース消えた年金を見つけたことは、連合会に交渉しても実務経験にはして貰えず、泣く泣く、事務指定講習を受ける羽目となり、登録が1年遅れました。
しかし、事務指定講習会で、講義後に質問した唯一の先生が、実はうちの支部長で、支部長と知らずに名刺交換、ましてやメールでお礼までしたこと(後で冷や汗が出ました)など、社労士試験2回落ちて、知識が深まったことも含め、「人間万事塞翁が馬」だと思う今日この頃です。
(今回も長いコメントですみません)

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